着替え時間は労働時間?クリニックの残業代「1分単位」管理と未払いリスク

「うちはタイムカード通りに残業代を払っているから大丈夫」
「スタッフとは良好な関係だから、そんな細かいことでは揉めないよ」

仙台市内のクリニックを訪問すると、多くの院長先生がそう仰います。しかし、その自信が足元から崩れ去るケースを、私はこれまで何度も目にしてきました。

特にここ数年、医療現場の労務管理で「火種」となっているのが、「着替え時間」や「朝の掃除」といった“隠れ労働時間”の取り扱いです。

大手飲食チェーンや有名企業で「着替え時間の賃金未払い」がニュースになり、働く側の意識は劇的に変化しました。スマホで検索すれば、「着替えは労働時間だから請求できる」という情報はすぐに手に入ります。

もし、貴院のスタッフが退職する際、「過去3年分の着替え時間と、1分単位で切り捨てられていた残業代を支払ってください」と内容証明郵便を送ってきたらどうなるでしょうか。その額は、院長先生の予想を遥かに超える金額になるはずです。

本記事では、クリニック経営における最大のリスクの一つ、「未払い残業代」の正体と、今すぐ見直すべき「1分単位」の勤怠管理について、法律と実務の両面から徹底解説します。

【法的見解】着替え時間、掃除、片付けは「労働時間」なのか?

結論から申し上げます。
クリニックにおいて、制服(ユニフォーム・スクラブ)への着替え時間は、原則として「労働時間」に該当します

なぜそう言えるのか。感覚的な話ではなく、法的な根拠を知っておくことが対策の第一歩です。

「指揮命令下」にあるかどうかが分かれ目

労働基準法上の「労働時間」とは、「使用者の指揮命令下に置かれている時間」を指します。実際に治療行為をしている時間だけではありません。

過去の最高裁判例(三菱重工長崎造船所事件など)では、以下の条件に当てはまる場合、着替え時間は労働時間であると判断されています。

  1. 義務付け:仕事をするために、特定の服装(制服・作業着)の着用が義務付けられている。
  2. 場所の拘束:事業所内の更衣室などで着替えることが事実上強制されている。

クリニックの場合、白衣やスクラブの着用は必須であり、衛生管理上、自宅から着てくるのではなく院内で着替えるのが一般的です。つまり、上記の条件を完全に満たしてしまうのです。

よくある「隠れ労働時間」リスト

着替え以外にも、院長先生が「これは労働時間じゃないだろう」と思い込んでいる時間が、法的には労働時間とみなされるケースが多々あります。

  • 始業前の掃除・準備
    「9時診療開始だから、8時30分に来て掃除をしておくように」と指示している場合、8時30分からが労働時間です。これを「自主的な活動」と言い張るのは、業務命令がある以上不可能です。
  • 朝礼・ミーティング
    参加が強制されている(不参加だと評価に響く、怒られる)場合、当然ながら労働時間です。
  • 昼休みの電話当番・受付対応
    「お昼ご飯を食べながらでいいから、電話が鳴ったら出てね」という状況。これは「手待時間」と呼ばれ、完全に労働から解放されていないため、休憩時間ではなく労働時間としてカウントされます。
  • 診療終了後の片付け・締め作業
    最後の患者様が帰った後のレジ締めや消毒作業。これも立派な業務です。

これらをすべて「給与計算」に含めていない場合、それはすべて「未払い賃金」という借金として積み上がっていることになります。

恐怖のシミュレーション:1日10分の未払いが招く損害額

「たかが着替えの5分、10分でしょ?」と甘く見てはいけません。塵も積もれば山となります。しかも、労働債権(未払い賃金)の消滅時効は、2020年の法改正により、従来の2年から「3年」に延長されました。(当面は3年ですが、将来的には5年になる予定です)。

ここで、具体的な数字でシミュレーションしてみましょう。

試算条件

  • 時給:1,500円(残業単価:1,500円 × 1.25 = 1,875円)
  • 隠れ労働時間:1日15分(着替え前後10分 + 端数切り捨て分5分)
  • 勤務日数:月20日
  • 対象期間:過去3年分(36ヶ月)

計算結果(スタッフ1名あたり)

1. 1ヶ月の未払い残業代
15分 × 20日 = 300分(5時間)
1,875円 × 5時間 = 9,375円

2. 3年分(36ヶ月)の総額
9,375円 × 36ヶ月 = 337,500円


スタッフ1名で約34万円です。もし、看護師3名、事務2名の計5名から一斉に請求されたら?
337,500円 × 5名 = 1,687,500円

さらに、裁判に発展し「悪質」と判断された場合、未払い額と同額のペナルティ(付加金)を命じられることもあります。そうなれば約340万円が一瞬で吹っ飛びます。
これだけのキャッシュが突然出ていくことは、小規模なクリニック経営にとって致命傷になりかねません。

「15分単位切り捨て」は違法!1分単位管理の絶対ルール

多くのクリニックで見受けられるのが、タイムカードの集計時に行う「端数処理」の間違いです。

「うちは15分単位で計算しているから、17時10分に終わっても17時00分退勤扱いです」
「30分未満は切り捨てています」

これは明確な労働基準法違反です。

賃金支払いの大原則

労働時間は「1分単位」で計算し、その分の賃金を支払うのが原則です。
会社独自のルールで勝手に切り捨てることは認められません。

唯一認められている例外は、「1ヶ月の総労働時間の端数」における処理のみです(1ヶ月の合計で30分未満を切り捨て、30分以上を1時間に切り上げることは可能)。しかし、日々の打刻時間を毎日切り捨てることは完全に違法です。

逆に「切り上げ」はOK?

「15分未満は切り捨て」は違法ですが、「15分単位で切り上げ(1分でも残業したら15分ついたことにする)」など、労働者に有利な取り扱いは問題ありません。しかし、人件費管理の観点からはコスト増になります。

やはり、公正かつ正確な「1分単位の実績管理」こそが、トラブルを防ぐ唯一の正解なのです。

今日からできる解決策と運用ルール

では、実際にどう運用を変えれば良いのでしょうか。着替え時間を労働時間と認めた上で、経営へのインパクトを最小限に抑えるための実務的な対策をご紹介します。

1. タイムカードの打刻タイミングを統一する

まず、院内ルールを明確にしましょう。

  • 出勤時:更衣室で制服に着替えた「後」にタイムカードを押す。
  • 退勤時:業務終了後、制服から私服に着替える「前」にタイムカードを押す。

これが最も判例に忠実で、リスクの低い運用です。「打刻してから着替えるのか、着替えてから打刻するのか」がスタッフによってバラバラだと、管理不能になります。就業規則にもこの手順を明記してください。

2. 「固定残業代(みなし残業)」の導入・見直し

着替え時間や朝の掃除時間を含めると、どうしても毎日多少の残業が発生してしまいます。その都度計算するのが煩雑であれば、「固定残業代」を導入するのも一つの手です。

例えば、「月10時間分の固定残業手当」として毎月一定額を支給します。これなら、日々の着替え時間がそこに含まれる形になるため、別途計算する手間が省け、法的な未払いリスクもカバーできます(ただし、実労働時間が10時間を超えた場合は、差額を追加で支払う必要があります)。

※注意:基本給を勝手に下げて固定残業代に付け替えるのは「不利益変更」となり、スタッフの同意が必要です。導入には慎重な設計が求められます。

3. ダラダラ残業を防ぐ「残業許可制」

1分単位で残業代を払うとなると、懸念されるのが「生活費稼ぎのためにわざとゆっくり着替える」「無駄話をして帰らない」といったスタッフの出現です。
これを防ぐために、「残業事前許可制」を導入しましょう。

  • 所定終業時刻を過ぎて業務が残る場合は、必ず上長の許可を得ること。
  • 許可のない居残りは労働時間として認めない(ただし、黙認していたらアウトです。帰るよう指導する必要があります)。

4. クラウド勤怠システムの導入

紙のタイムカードとExcelでの手計算は、もはや限界です。
「あ、計算間違えてた」というヒューマンエラーが許されない時代です。打刻データが自動で集計され、1分単位の残業代も自動計算してくれるクラウド勤怠管理システムの導入を強くお勧めします。初期設定さえ正しく行えば、計算ミスによる未払いリスクをゼロにできます。

よくある質問(FAQ)

着替え時間に関して、院長先生から寄せられる際どい質問にお答えします。

Q. 「着替え時間は労働時間に含めない」という誓約書を書いてもらえば大丈夫ですか?
A. 無効です。
労働基準法は強行法規であり、個人の合意よりも優先されます。たとえ本人がハンコを押していたとしても、法律を下回る条件での契約は無効となります。裁判になれば「院長という強い立場を利用して書かせた」とみなされ、むしろ心証が悪くなるでしょう。

Q. 化粧直しや整髪の時間も労働時間に入りますか?
A. 原則、入りません。
制服への着替えは業務上必須ですが、化粧や整髪は社会人としての身だしなみの範囲(個人的な活動)と解釈されるのが一般的です。ただし、業務上極めて特殊なメイクや髪型を強制している場合は別です。

Q. タイムカードの打刻場所はどこがいいですか?
A. 更衣室の近く、またはスタッフルーム内が理想です。
受付カウンターに置いているクリニックも多いですが、着替え前後の打刻を徹底するなら、動線的に無理のない場所(着替えてすぐ打刻できる場所)への設置をお勧めします。

まとめ:複雑な給与計算はプロに任せ、先生は診療に集中を

「着替え時間」や「1分単位の計算」。
これらを厳密に守りながら、毎月の給与計算を完璧に行うことは、多忙な院長先生や奥様(事務長)にとってあまりに重い負担です。

しかし、放置すれば数百万円のリスクとなる爆弾を抱え続けることになります。

「法律は守りたい。でも、そんな細かい計算をしている暇はない」
それが本音ではないでしょうか。

もし、日々の勤怠管理や給与計算に少しでも不安を感じていらっしゃるなら、私たち専門家にお任せください。
菊池経営労務管理事務所では、以下のサポートを通じて、クリニックの「守り」を鉄壁にします。

  1. クラウド勤怠の導入支援:1分単位で正確、かつ手間のないシステムの選定・設定。
  2. 給与計算のアウトソーシング:法改正に完全対応した、ミスなき計算代行。
  3. 就業規則の整備:「着替え時間」「残業許可制」など、院内ルールの明文化。

計算ミスや法解釈の悩みから解放され、先生が安心して診療に打ち込める環境を作る。それが私たちの使命です。
給与計算の見直しや、過去の未払いリスク診断など、まずは一度ご相談ください。

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